小さな線虫から探る、本能行動のしくみ
―「嫌なものから逃げる」行動を手がかりに生命を理解する―>

堀 沙耶香

理学部 化学生物環境学科 生物科学コース 准教授

―― 先生の研究内容について、分かりやすく教えてください。
 私の研究の本質的なテーマは、「本能行動」です。本能行動とは、生き物が生まれつき持っている行動のことです。たとえば、お腹が空いたら何かを食べたくなる、危険を感じたら逃げるといった行動が挙げられます。
 人間というと、高度な思考や学習によって行動している存在だと思われがちですが、人間も動物の一種です。私たちの行動も、本能に大きく支えられています。そのため、本能行動のしくみを深く理解することは、人間を含めたさまざまな生き物を理解することにつながると考えています。
 本能行動にはいろいろなものがありますが、私はその中でも「嫌なものから逃げる」という行動に注目しています。好きな食べ物や好みには、人や文化によって大きな違いがあります。一方で、痛みや不快な刺激など、嫌なものには生き物の間で共通する部分が多くあります。だからこそ、不快な刺激から逃げる行動を調べることで、生き物に広く共通するしくみに迫ることができるのではないかと考え、現在の研究テーマに据えています。

―― 先生が現在の研究テーマに取り組まれるようになったきっかけを教えてください。
 私は小学生の頃から生き物がとても好きでした。特に、生き物がそれぞれにユニークな動きをするところに興味がありました。たとえば、カマキリが獲物を待ち構え、鎌で捕まえるような行動を見ると、「どうしてこのような動きをするのだろう」「そのしくみにはどのような意味があるのだろう」と考えていました。
 ただ、人間や大きな動物の行動をすべて理解しようとすると、脳や神経のしくみが非常に複雑で難しいです。そこで、行動のしくみをできるだけシンプルな形で理解できる生き物は何かを考えました。その中でたどり着いたのが、現在研究に用いている線虫です。
 これまで私は、大腸菌、酵母、昆虫、マウスなど、さまざまな生き物を扱ってきました。その経験を通して、遺伝子から細胞、神経回路、そして個体の行動までをつなげて理解しやすいモデルとして、線虫に大きな魅力を感じるようになりました。

研究室での実験風景

―― 線虫を使うことで、どのようなことが分かるのでしょうか。
 線虫はとても小さな生き物ですが、生命現象を理解するうえで非常に優れたモデル生物です。遺伝子がどのようにはたらき、細胞がどのように形づくられ、神経細胞同士がどのように連絡し合い、その結果として一匹の個体がどのような行動をとるのかを、つなげて考えることができます。
 また、線虫には人間のような「脳」はありませんが、神経細胞が集まった中枢神経系のような構造を持っています。危険な刺激や不快な刺激を受けたとき、感覚神経、介在神経、運動神経が連携して行動を生み出します。線虫を使うことで、複雑な行動の出発点となる、これらの最小限の神経回路を詳しく見ることができると考えています。
 私が面白いと感じているのは、分子レベルの小さなしくみから、個体の行動、さらには生き物同士の関わりや進化までがつながって見えてくるところです。小さな線虫を通して、生き物の基本的なしくみを考えることができる点に、大きな魅力があります。




線虫の行動の性差
雌雄同体だけにすると雌雄同体は単独行動をとる(上)
雄だけにすると雄同士で集まって配偶行動をとる(下)>

―― 研究を進める中で、やりがいを感じるのはどのようなときですか。
 一番やりがいを感じるのは、予想外の結果が出たときです。もちろん、予想外の結果が出るだけでは研究として十分ではありません。その結果を、これまで積み上げてきた知見と結びつけ、ひとつの論理として説明できたときに、パズルのピースがはまるような美しさを感じます。
 研究では、仮説を立てて実験を行っても、必ずしも予想どおりの結果が出るとは限りません。しかし、予想と違う結果が出ること自体にも意味があります。「そうではなかった」という結果も、研究全体の中では重要な発見です。そこから新しい問いが生まれることもあります。

―― 先生の研究は、社会や私たちの日常とどのようにつながっているのでしょうか。
 私の研究は基礎研究ですので、すぐに社会や日常の課題に直結すると言い切るものではありません。むしろ、基礎研究は、将来どのような発見につながるか分からないところに大きな意義があると考えています。
 基礎研究は、畑を耕す作業のようなものです。すぐに実を収穫するためのものではなく、未来に芽が出る土壌をつくる営みです。現在は何の役に立つのか分からないように見える研究であっても、長い時間を経て、思いがけない形で大きな発見につながることがあります。
 もちろん、不快な刺激から逃げる行動を研究することは、痛みや不快感の理解にもつながる可能性があります。人によって味やにおい、痛みなどの感じ方には違いがあります。そのような感覚の違いが、神経や遺伝子のどのようなしくみから生まれるのかを考えるうえでも、線虫の研究はひとつの手がかりになるかもしれません。

―― 今後の研究の展望や目標について教えてください。
 今後の研究テーマが、あらかじめ明確に決まっているわけではありません。研究を進めていく中で、まだ誰も見つけていない問いを探していきたいと常に考えています。
 私が大切にしている言葉に、恩師から教わった「未開の荒野に点を打つ研究者であれ」という言葉があります。すでに道ができているところを進むのではなく、まだ誰も足を踏み入れていない場所に、自分の研究で小さな点を打つ。そのような研究者でありたいと思っています。
 現在取り組んでいる本能行動や逃避行動の研究を進めながら、その中で見えてくる新しい疑問や、まだ人知の及んでいないテーマを模索していきたいです。



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